祈りの祭典にあたえられた大きなテーマは「主の道を備え、グ口ーバルな視点へわれわれを導く。」です。
これは2009年以降も今後10年間継続していくテーマです。2008年の祈りの祭典前の40日連鎖断食において与えられたこれらの言葉を掲載いたします。
2節に「ひとりの者」を東から起こしたと書いています。この一人の人とは島々からなる東の国のひとつのキリストの体を現しています。この体はひとつの体であり分裂した体ではありません。今、神は主の御霊によって奮い立たされたひとつの教会をこの地に起こされているのです。
また、北海道から沖縄まで「日の昇る国」というアイデンティティーによってひとつとされた日本の姿です。2008年の祈りの祭典において北海道から「沖縄に対する主の愛」をあらわす時がもたれましたが、それはその機能が始まったことを意味しています。
そして最終的には「東から起こされる一人の人」は東アジアの一致をあらわしています。サタンは過去の歴史的経緯を通じてこの地域に分裂を与えようとしましたが、クリスチャンたちのとりなしと献身によってひとつとされるのです。
「足もとに招き」とあるように、私たちはへりくだりと一致をもって神のもとに参ります。神はその足もとにひざまずくへりくだったものを、その御言葉(レーマ)によって養われます。マリヤが主の足もとに座りその口からでる一つ一つの言葉によって養われたようにです。
また、この「ひとりの者」とは、義の太陽であるキリストであります。教会はキリストの体です。教会が立ち上がっているだけではなく、当然、頭なるキリスト自身が立ち上がっておられるのです。すなわち、日の昇る国がその与えられた預言的な約束と力を宣言するときに、義の太陽が立ち上がるのです。
その呼び声は全地に響き渡り、そのことばは、地の果てまで届いた。神はそこに、太陽のために、幕屋を設けられた。太陽は、部屋から出て来る花婿のようだ。勇士のように、その走路を喜び走る。(詩篇19:4-5)
日の昇る国はこの義なる太陽のために設けられた幕屋です。神の栄光が宿る幕屋なのです。私たちの賛美と祈りは勇士なる方が喜び走る走路を設けるのです。それはまた天の果てから果てまで行きめぐる道を作りエルサレムにいたります。主の栄光が全世界に響き渡るのです。
主はご自身の摂理の中で知らず知らずのうちに私たちをグ口ーバル・ゲートへの祈りに招き入れました。私たちの祈りの視野は北海道や日本全国だけでなく、世界で起こる出来事に関わるのです。そうです、確かに主は北海道でなされる祈りは世界の片隅のものではなく、世界の流れに影響を与えるものへとされているのです。
たしかに2008年に北海道で行われたG工イト・サ三ットのための祈り会(要ログイン)を通じて私たちはグ口ーバルな分野に対する祈りの飯が与えられました。
4節に「主こそ初めであり、また終わりとともにある。」あるように、これを成し遂げてくださる主は世の初めから世の終わりまで時間を越えて存在される方です。ということはそれはどういう意味なのでしょうか。主は私たちが向かっていく方向の最後を知っておられます。そして、それを見て喜んでおられます。私たちの勝利をすでに見ておられる方が私たちとともにおられるのです。
全能なる方、万軍の主がこれを成し遂げてくださるのです。